旅行観光時に注意したいベトナムホーチミンの治安
2019年1月30日更新。
ベトナム人女性と結婚してベトナムホーチミンで生活してから治安の状態が実感できた。
ネット上では治安は日本よりは悪いが、世界的にはいい方だと言われている。
実際そうだと感じる。
どれくらいいいかというと、夜に女性の独り歩きができるくらいの良さだ。
ずっと日本にいると、それは当たり前と思ってしまうかもしれないが、夜に女性の独り歩きができるというのは、世界的には治安がいい証拠と言われることがあるくらいだ。
オレは男性だが、実際、そこまで危険だと感じたことはない。
重犯罪が起こったとかいう話しも聞いたことがない。
まぁ、日本に比べたらよくないらしいけどねw
でも、日本と比べて治安が悪いと感じたところもあるので、それを紹介していこう。
盗難
ベトナムでは盗難が多いと言われている。
しかし、実際に盗難に遭遇したことはない。
が、盗難に遭遇したというのはよく聞く。
多い盗難は2パターンあるようだ。
空き巣
一つは、空き巣。
ベトナムの経済はよくなってきていると言われているが、まだまだ貧富の差が激しく、貧しい人はとことん貧しいようだ。
なので、家の鍵をかけていても、鍵をこじ開けて侵入し金品を盗む盗難は多いようだ。
ひったくり
もう一つは、街中でのひったくり。
街中でのひったくりは、バイクを使ったものがほとんどだそうだ。
手に持っているスマホや肩にかけているバッグを、後ろからバイクで近づき、奪って走り去るという手口。
なので、バッグを持って外を歩いたり、外でスマホを出すのは避けた方がいい。
ベトナム人である嫁の知人もiPhoneを4回盗まれたそうだ。
現地の人でもそんな目に会うのだからやっぱり注意は必要だろう。
そうは言っても、バッグを持って出たり外でスマホを出さざるを得ない時もあると思う。
そんなときは、歩道を歩くときはできるだけ車道から離れた位置を歩くようにすれば少しは被害に遭遇する確率を減らすことはできるだろう。
賄賂
ベトナムは賄賂の国。
賄賂さえ渡せば大体のことはできるような国なのに、治安がいいのは不思議だ。
ん?だからこそなのか?
どれくらい賄賂の国なのかというと、実際に嫁の親戚がやったことなのだが、医師の免許を持っていないのに、病院を始めたらしいw
賄賂を渡せばできるそうw
このように個人や国の機関など、賄賂文化が根付いている。
それくらいの賄賂の国なので、旅行や観光の時に何かしら困ったことがあれば、賄賂を渡せば問題は解決するかもしれない。
ぼったくり
ぼったくりと言っても、一般の日本人が困るほどの金額をぼったくられることは少ないように感じるが、まぁ、ぼったくりは多いようだ。
というのも、料金が決まっていないサービスや商品が割とあるからというのが一つの要因だろう。
例えば、タバコや酒は日本ではどこの店で買っても料金は同じだが、ベトナムでは店によって料金が違う。
タクシーの乗車料金もそのタクシーによって違う。
空港ではタクシーの客引きがよく行われるのだが、乗車前に交渉した料金と実際に目的地に着いた時に要求される料金が違うという話しは聞いたことがある。
ベトナム人と一緒にいたら大丈夫だそうだが。
タクシーでぼったくりに遭わないようにするには、東南アジア版の歯医者アプリ「Grab」を使うといいようだが、
自分が今いる場所や目的地がタクシーの運転手にとって不都合な場合は乗車拒否されることも普通にある。
大体はすんなりいくのだが、とある日の一日だけなぜか20回連続で断られたことがある。
ベトナムの治安の背景
ベトナムの治安の背景としては、国民の気質のようなものが関係していると考える。
ベトナム人は家族が一番大事
ベトナム人は家族が一番大事と言われている。
言い換えれば、極小コミュニティの団結が強いということだ。
なので、仲良くなれば家族のように親切にしてくれる人たちは多いようだ。
そして、それは一般常識になっていく。
「人のものを勝手に使っていいのは当たり前」という風になっていく。
アジアの田舎の教育方針
そして、アジアの国の田舎の方の人は、考え方や価値観が古いままだ。
親が子供に自分の価値観を強要したり、高圧的な態度をとるといった具合。
少なくとも日本とベトナムには共通する。
そして、ベトナムはまだまだ田舎なので、そういう価値観を持った大人も多い。
そんな風に育てられた子供が大人になると、感情の起伏が激しくなったり自己中心的な大人になりがち。
ベトナム人女性の気性は激しい
さらに、ベトナム人の女性の気性は激しい。
喜怒哀楽が激しいのだ。
そして、男性はレディファーストをするのが当たり前。
そんな感じなので、嫁がいうにはどうやら浮気をする男性が多いらしい。
どれくらい多いのかは知らないがw
ということで、現在のベトナムの治安にはこういう背景も関係しているのではないかと考える。